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偽書や幻想表現によって、前作『ひぐらしのなく頃に』よりかなり難解なうみねこ。
エピソード8までプレイしてもかなり謎が残るが、漫画版を読むとそれも氷解する。
事件の真相を大雑把にまとめれば、こんな話になる。
<真犯人>
ベアトリーチェ3世=安田紗代=紗音=嘉音=理御
<殺人者>
遺産相続で争った親達(特に留弗夫と霧江)
・戦時中に金蔵はイタリア軍のベアトと出会う
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・軍の金塊をくすねて右代宮家を復興させる
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・ベアトと子供を作り、子供にまで手を出して孫を作ってしまう
(この孫が本作の真犯人のベアト3世)
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・孫を夏妃に育てさせようとしたが、育児放棄で施設へ
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・使用人(紗音)として右代宮家に入る
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・戦人に恋をして連れ出してくれることを願うが、戦人は再婚をきっかけに家出
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・紗音が譲治に告白され、別人格で別々の相手を愛するようになる
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・碑文の謎を解いて後継者と認められるが、金蔵が死亡
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・戦人が戻ってきて、どっちの恋を成就させる悩む
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・後継者選びの碑文のゲームを利用し、判断を委ねる
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・親達が謎を解いてしまったので、財産を渡す
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・遺産の分け前を巡って殺し合い、証拠隠滅のため島を爆破
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・戦人とベアトは海に沈み、絵羽は逃げて唯一の生き残りになる
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・絵羽は縁寿を引き取る
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・親が殺人犯であるとは言えないため真相を語らずに死ぬ
こう並べるとわりと簡単な話で、魔法や奇跡、ループも存在しない。
だが、本作の分量はとてつもなく多く、魔女や悪魔が跋扈してわけがわからなくなっている。
最終話まで読んでも回収されていない伏線もあるため、作品の評価は賛否両論。
中には「ミステリーとして成り立っていない!」と憤慨した人もいるだろう。
しかし、個人的にはそれでいいのだと思う。
なぜなら、答えは読者自身が選ぶことだからだ。
本作ではしきりに魔法が語られ、「信じないと魔法は使えない」と言う。
「愛がなければ視えない」と言う。
縁寿はベアトやバトラに真相を求めるが、差し出された答えを嘘と否定する。
人は「自分は真実を求めている」と思い込んでいるが、実際は都合の良い答えを選んでいるだけだ。
「お前の親は金目当てに親族を皆殺しにした犯罪者だ!」
なんて事実を突きつけたところで、誰も幸せにならない。
だから絵羽は口を閉ざし、八城十八は偽書をバラまいて世間を欺いた。
大事なのは真相ではない。
各人が何を信じるか。
亡くなった人を貶めるのではなく、幸せな記憶を残すことだ。
故に本作は漫画版の結末を見るまでもなく、既に完成していた。
創作とは、そもそも事実ではない。
信じることでしか成立しない、一種の魔法のようなものだ。
ミステリーの形をした魔法の中で、私達が何を信じて真相を選び取るのか?
それこそが、竜騎士の仕組んだゲームなのだろう。
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