ダンメモというゲーム自体には全く興味がないが、周年記念シナリオだけは欠かさず読んでいる。
その出来はソシャゲ界では随一。
原作はもちろん、スピンオフのソードオラトリアすら凌ぐ最高傑作。
毎年毎年、よくもまぁこんなとんでもないレベルのシナリオが書けるものだと、本当に感心する。
・1周年 『グランド・デイ』
・2周年 『アルゴノゥト 』
・3周年 『アストレア・レコード』
・4周年 『アエデス・ウェスタ』
いずれもゲームのオマケとは思えないぶっとんだボリュームの話。
4周年なんかYoutubeでも軽く10時間を超えている。
長さもさることながら、その驚愕すべきはその内容。
ダンまちの本当のテーマを、これ以上克明に描いている作品はあるまい。
『ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか』という題名は、正直タイトル詐欺だと思っている。
本作に可愛い女の子は沢山出てくるが、本当に目指すべきは女性との出会いではない。
ダンジョンに至ってはただの舞台でしかなく、周年シナリオではむしろダンジョン外の戦闘の方が多い。
本作の本当のテーマは、『英雄願望』。
ベル・クラネルのスキル名まんまだ。
人の身で天に至り、人類を脅かす巨悪に立ち向かうこと。
偉業を達成し、人々や神々から賛美される英雄になること。
それがベルくんの夢であり、ダンまちの主題だ。
本編ではヒロインがらみの雑音が多くてわかりにくくなっているが、偉大冒険譚ではそれがはっきり示されている。
特に「神々が人間に何を望んでいるか」が、ひしひしと伝わってくる。
既に終了したダンラプが顕著に示していたが、この作品の神はキリスト教における神のような全知全能の存在ではない。
喜怒哀楽を備えた普通の人間だが、進んだ文明を持って未開の世界を見守っている。
つまり現実世界から異世界を観察する、私達現代人に近い存在だ。
団員は神からファルナ(恩恵)を授かって戦うが、従者や兵士ではない。
『子供』と呼ばれている。
親が子供に求めるのは、神の力の行使ではない。
親の庇護から独立して、成長を見せてくれることだ。
神の視点(視聴者・読者の視点)から見て、想像を超える偉業を達成してくれることが、神々の願いである。
そのことはアニメの初代ED『RIGHT LIGHT RISE』の歌詞でも示されている。
・神様だって不可能な可能性を含んでいるんだ
・神様だって予測できない必然を示しているんだ
周年シナリオの英雄渇望は、本編より遥かに強い。
本編ではまだ恩恵(大人の庇護)に頼っている印象が強いが、それを剥奪すらしている。
・『アルゴノゥト 』→神の庇護が存在しない時代。人間は生身で怪物と戦う。
・『アストレア・レコード』→邪神エレボスの襲撃。神に守られたオラリオを滅ぼし、保護なき世界で人の成長を願う。
・『アエデス・ウェスタ』 →神ヘスティアからの放逐。恩恵を剥奪されながらも自力でそこから這い上がり、過去の英雄を打ち倒す。
これらの話からわかるように、神々は人々が温室の中でぬくぬく過ごすの望んでいない。
親の保護から卒業して、たくましく育つことを願っている。
でなければ黒龍はもちろん、これから起こる本当の危機に立ち向かえないからだ。
ダンまちが本当に見せたいのは、ヘスティアやアイズとのイチャイチャではない。
ファミリア同士の派閥争いでも、レベルアップでもない。
求めるべきは、英雄の誕生。
人間が人間のまま壁を越え、悪を倒して伝説を打ち立て、全ての人々に夢を見せること。
私達が子供の頃に忘れてしまった英雄願望こそがダンまちの根底を流れるテーマであり、大人気作となった真の理由だろう。
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